うたた寝
 

 
 近所のコンビニという"出先"でふと思い立っての行動だったから、身軽な普段着のまま。それが不味かったらしくて、JRのこれでもかという冷房に鳥肌が立った。確かにこのところは いかにもな暑さで、そこから飛び込んだ瞬間は極楽気分が味わえる涼しさだが、十分ちょっとでも乗ることになるのなら上着が要るかも知れない冷やしよう。少しゆったりしたTシャツしか羽織っていないその上に、体脂肪が少ない身には堪える寒さで。
"風邪ひかす気か、この糞JRっ!"
 車掌室に怒鳴り込んでやろうかとも思ったが、そうこうするうち目的地についたので、今日のところは勘弁してやった。

  "211号っと。"

 人気が出て来て周囲が騒がしくなって来たことと、帰りが遅くなったり、そうかと思えばロケ地集合だからと日の出前には出なくちゃならなかったりと、どうしても不規則な生活になってしまうから。高校へと進学したと同時くらいに、学校と実家の中間辺りの、駅に近いマンションを借りて独立していると話してくれた桜庭であり。親の目が届かないのを良いことにと、不摂生にも遊びほうける溜まり場にするでなく。あまり誰かを招くこともないという話で。殆ど寝に帰るだけの場所だからねなんて言っていたが、どういう相性なのか、自分がひょいと訪ねる時は大概 家主も居合わせる。
『ボクら、相性が良いんだって。』
 どう解釈すればいいんだか、嬉しそうにそんなことを言い、それでも居ない時に当たったらこれで入って良いよと、何の衒
てらいもなく合鍵をくれた。あまりに無防備なことをするもんだから、
『居ない時に上がって、金目のものとか勝手に持ってくかも知れないぜ?』
 窘め半分、脅すように言ったら、
『ウチにあるものなんて、蛭魔の好みじゃないでしょう?』
 趣味を疑われるよなことはしないよねぇと。存外強かなところもちらりと見せた奴だったけれど。悪意のない笑顔だったから他意があって言った訳ではなさそうで、それでそのまま、時々こうやって"急襲"を仕掛けてやったりする。鍵を渡されているのだからと、いちいちチャイムなんて鳴らさない、文字通りの"乱入"訪問。小さな玄関を上がり、キッチンを通り過ぎ、ずかずかと廊下の奥の部屋、2つある居室の内のリビングとして使っているフロアまで上がってゆくと、
「………お。」
 今日も今日とて、本人が居た。鍵が掛かっていなかったから、それは判っちゃいたけれど。お〜いと掛けた声に反応がなく、居ないなら不用心な奴だよなと呆れながら上がれば、居たことは居たのだが、

  "寝てやがる。"

 胡桃色のフローリングには、二人掛けのラブソファーとかいう中途半端な長椅子と小さめのローテーブルが配置されてあり。壁際、カラーボックスを重ねたサイドボードには、14インチの薄型テレビにDVDデッキ。あまりごちゃごちゃと物があふれている部屋ではないが、ソファーの背もたれには王城の白い制服が引っ掛けてあるし、テーブルの上にはリモコンとタウン情報誌が数冊ほど。フィンガーカップみたいな鉢があって、個別包装されたキャンディーが無造作に盛られてあるのは、喉をいたわってのことだろうか。そして…ベランダ前の窓辺近くに置かれたデザインチェアに、パーカーを羽織ったままの桜庭が腰掛けて寝ていた。アイボリーの麻だろうカバーに大雑把にくるまれた、飾り気のない大振りの、肘掛けのないアームチェアというところ。大きさから見てリクライニング機能もあるようで、寝椅子のように背もたれを少し引いた上で、ゆったりとその大柄な身を沈めて、まぶたを降ろし、すうすうと静かに寝入っている桜庭で。出先から戻ったそのままなのか、淡いキャラメル色のパーカーを羽織ったまんまであり、無心な無表情は、疲れているようにも…見えなくもない。

  "こんな椅子、あったか?"

 も一つ奥の寝室の方も以前に見ているが、向こうにはベッドとクロゼットと整理ダンスの他には、パイプとキャンバス地のディレクターチェアとクッションしか置いてなかったし。見慣れない家具に首を傾げていたのも束の間のこと。好奇心が旺盛なところがちょっとばかり擽られ、真新しいそれに座ってみたくなる。む〜んと唇を曲げてから、
「…っ♪」
 うんうんと頷くと、先に寝ている人物の、そのまた上へと乗っかることにする。細身の自分より上背があって体格も良い桜庭は、そのまま居心地の良い"寝椅子"のようなものだから、これまでにも時々乗っかってやっているのだしと。遠慮なく…その膝の上へと横向きに腰掛ければ、
「…ん。」
 間近になった寝息が変わって。起きるかと思ったが、瞼は上がらず。その代わり、

  「…お。」

 両の腕が伸びて来て、こちらの身体をくるりと捕まえる。やっと戻って来た我が子を抱きしめるように、片方は背中を上がって頭の後ろ、片方は脇を下へと回って腰から背中へと。長い腕が搦め捕るように回されて、大きな手のひらが終点にて伏せられて。そのまま"くい"と引かれたところが…不意を突かれたこともあり、上体がぱふんと相手の懐ろへ転がり込むこととなってしまった。

  "ちっ、しゃーねぇな。"

 こいつ甘えただからな。それに、この部屋にも冷房がかかってて まだ少し寒いしよ。癪なくらいに広い懐ろは、誂えたみたいにすっぽりと収まりが良くて。力任せに封じられた訳でなし、このままでいてやるかと諦めた。自分の寝位置をごそごそと決めて、力を抜いてすっかり凭れ掛かれば、シャツ越しに伝わって来る温みが心地良い。ほわりと香る柔らかな匂い、体に添えられた手の感触。堅すぎず柔らかすぎない肉付きと、無造作に抱えられている微妙な危なっかしさとが、却って、真っ平らなマットよりも良い刺激になるらしく。ほんの数刻もしないうち、トロトロとした微睡みを連れて来て。

  "…ん。"

 時々、髪を撫でる気配があるから、こいつめ、実は起きてんじゃないか? 思いはしたが どうでも良い。手入れの良い髪や肌の感触も、躾の行き届いた気配りも、機能的で微かに個性を利かせたものを選んで揃える趣味の良さも。馴染んでしまえば、傍らにあって居心地が良いこと この上もない存在だし。結構まめで、こっちの扱いにもすぐさま慣れたか、このところはそうそうベタベタとは構わず、こんな風に適当に…じゃらし半分で甘えて来るようにもなって。

  "変な奴なのには変わりないんだけどな。"

 誰にでも好かれるクセして、何が気に入ってか…自分で言うのも何だが俺みたいなややこしい奴に、なんでまた こんなに関心を寄せるのだろうか。警戒さえ招くくらいに、根拠もなく唐突に、機嫌よく懐いて来たでっかい座敷犬。どんなにすげなく振り払っても、手ひどく踏み付けにしても、懲りずにまとわりついて来ては、人懐っこい顔でニコニコと愛想を向けてきて。後で聞いたら"蛭魔と逢って堕ちない方がどうかしてる"なんて、ますます訳の分からない言いようをされてしまった。独りでいて颯爽としているところが自信にあふれてて良いだとか、まるで女を口説くみたいな熱心な言いようをしやがるのが、時々不気味だったけれど、

  『良いか? 根負けしただけだかんな。』

 どうやら俺に関して何かしら間違った"刷り込み"をしちまったらしい。そうとしか思えない。だとして…いちいち正してやるほど暇じゃなし、仕方がないから時々暇つぶしに付き合ってやることにしたら、そりゃあ嬉しそうな顔をして此処の鍵をくれたりしたのである。

  "…そうさ。面倒なだけだかんな。"

 馴れ馴れしい手を振り払わないのは、ここが暖かくて居心地がいいから。警戒なく凭れ切っているのは、絶対に逆らわない優しい温みが心地良いから。関心なんかないと言いつつ、足繁く此処にやって来てしまうのは、寝心地の良い椅子が気に入っているから。ただそれだけのことなんだから…。





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 この腕の中に、何とも無造作にもぐり込んで来た撓やかな肢体。きれいな金色に染められた髪に触れても、怒ったり払いのけたりしないで、そのままでいてくれる。………でもね。たとえ此処まで親しくなった自分が相手であっても、気まぐれに振り回しては容赦なく嘲笑したりする。相変わらずなのだ、この悪魔さんは。


  ――― これはまだ内緒なんだけれど。
       彼を知れば知るほどに、昔飼ってた猫のクロを思い出す。


 印象的な容姿や所作が、誰の目をも奪うだろう飛び抜けた存在感を持つ、それはそれは愛しいこの人は。相も変わらず"アメフト"だけが生き甲斐で。真摯で一途な心意気をあまりに偏らせている反動からか、その他へは にべもなくつれないばかり。いきなり姿を消したり、逢いたいと請うても3度に1度しか応じてくれない素っ気なさも変わらないまま。そのくせ、寂しさに馴染んで口を噤めば、不意に向こうから現れてこちらを覗き込む。卑屈に構えれば斟酌なく怒るくせに、甘えかかれば蹴り倒すくせに。情けないから見られたくない顔をばかり覗き込んでは"しょうがないか"と構ってくれる。

  "これも、我儘勝手の1つなんだろうね。"

 それとも、もしかして不器用さの現れだろうか? ………まさかね。だって彼は、冷酷で冷淡で、強気で傲慢で。それからそれから、究極の合理主義者で。強かな人性なればこそ維持するのが可能な、それらの気性を無理なく備えている人だったから。最初は…ホントはあまりの鮮烈さにむしろ辟易して、眉を顰めたものだったけれど。実はその時から、もう惹かれてたんだと思う。誰へも均等に、広く遍
あまねく好かれていなければならない存在でいるようにとされて来た身には、誰にもおもねらないままに、挑発的で奔放で強かな彼がどれほど眩しかったことか。

  "羨ましかった、のかな?"

 いつだって悠然と構えてた孤高の人で、その延長かあんまり他人を頼らない。信用されるのもウザイのか、合鍵を渡そうとしたら、
『金目のものとか、勝手に持ってくかも知れないぜ?』
 反発するよに、心にもないことを言い出したりもした。いつだって距離を置き、少しも甘えてくれなくて。たまに人を試すようなことを言っては、やっぱり片意地張って独りでいる。そんなところがますます…気位が高くて、気ままなそのくせ、人一倍"人間不信"だった、あの黒猫のクロみたいだって思ったよ。昔"飼ってた"というのは正確じゃなくて、他にも構ってくれる家のある"通い"の野良猫だったんだけど。そんなせいか、道すがらに出会ったときは全然愛想を向けてもくれない。今は誰のものでもないのだよと、そんな素振りでツンとしてた。怪我をしていても傍には寄せず、傷めた足を引き引き たったか逃げてく意地っ張りだったクロ。さぞ困っているのだろうにと、どんなにもどかしく思っても、伸べた手を撥ねつけるばかりで頼ってくれず。それでも我慢して手を差し伸べ続けて、やっと懐いて凭れてくれた時ってどんなに嬉しかったか判る?

  "野良猫なんぞと一緒にするなって、きっと怒り出すに違いないから。"

 だから…本人には言えない内緒の話。腕の中、静かな寝息を立て始めた意地っ張りな人へ、そぉっとお願いしてみる、なんとも健気なアイドルさんである。



  ――― 今だけでいいから。
       凭れてくれてるんだよねって、少しだけ自惚れさせてね。






  〜Fine〜  04.7.22.


  *九条様からいただきました作品へ、拙いながらもお話をくっつけてみました。
   ウチのノーマルVer.の桜庭くんは、ルイさんに通じるところがあると思います。

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